中の音と、外の音|箱(ハコ)の言葉 第3回

床置きの楔形モニタースピーカー(ころがし)と小さな卓。連載「箱(ハコ)の言葉」第3回の題字 ブログ

連載「箱(ハコ)の言葉」第3回

午後6時。リハーサル中のステージから、マイクを通した声が聞こえます。

「ワンツー、ワンツー」

下手側に置かれた卓の前で、スタッフがフェーダーに指を置いています。ボーカルの方がマイクに向かって同じ言葉を繰り返すたび、その声が少しずつ、この部屋の音になじんでいきます。

こんにちは。東京・御茶ノ水のライブハウス「御茶ノ水パルトネール」です。ライブハウスの現場で飛び交う言葉の由来をたどる連載、第3回です(第1回「箱」第2回「バミる」)。

記事の中の3つの印はいつもどおりです。◎ 確かめられた/△ 決着していない/✕ 根拠がなかった。 今回は音の言葉──そして、この連載でいちばん、出演者の方に読んでいただきたい回です。

「PA」は、もともと人ではありません

音響のスタッフを、この業界では「PAさん」と呼びます。

PAは英語 Public Address の略。直訳すると「公衆への告知」です。これは◎、はっきりしています。もともとは駅や空港の場内アナウンス──人の声を大勢に届けるための拡声設備を指す言葉で、音楽の拡声も、この系譜から始まりました。

つまりPAとは、本来は設備の名前です。それを操作する人まで「PAさん」と呼ぶのは、日本の現場の使い方。英語圏では sound engineer(サウンドエンジニア)と言います。海外のアーティストに “Our PA will help you” と書くと「うちの拡声設備があなたを助けます」という妙な文になってしまうので、私たちも英文では言い換えています。

機材カタログでよく見る「SR」は Sound Reinforcement──「音の補強」。演奏の拡声を指す言葉として、PAから分かれてきました。そして、音をぜんぶ束ねる机のような装置が「卓(たく)」。mixing console の console(制御盤)を、机の形から漢字一字で呼んだものです。ただし、誰がいつ「卓」と呼び始めたのかを書いた文献は、見つかりませんでした。

中の音と、外の音

タイトルにした言葉の話をします。

ステージの上で演者が聞いている音を「中音(なかおと)」、客席のスピーカーから出ている、お客様が聴いている音を「外音(そとおと)」と言います。舞台の上を「中」、客席側を「外」と捉える、現場の空間感覚から生まれた対語──だと思われるのですが、由来を書いた文献はゼロでした。大手音響会社の用語集も、意味だけを載せています(読みは「ちゅうおん」ではなく「なかおと」です。音域のミッドレンジと同じ字になるので、この連載では読み仮名を振っています)。

そして大事なのは、言葉の由来よりも、この2つが本当に別の音だということです。

中音は、アンプの直接音と、ドラムの生音と、足元のモニターから返ってくる音が混ざったもの。外音は、卓で整えられてメインスピーカーから出ていくミックス。同じ演奏なのに、立っている場所で、聞こえているものが違う。 ステージの上で聞いていたバランスと、客席で聞くバランスが違う──ということが、現場では日常的に起きます。だから出演者の方と音の話をするときは、中音の話か外音の話かを、はっきりさせながら進めます。

中音と外音の模式図

中音と外音。用語を示すための模式図です。

「返し」は、2種類あります

その中音をつくるのが「返し」です。

客席へ出した音を、演者の側へ「返す」──そのままの名づけです。ステージ上へ音を送ること、その音、そのスピーカーまで、まとめてこう呼びます。「ボーカル、もう少し返してください」。足元に置く楔形のスピーカーは「ころがし」。床に転がすように置くから、と説明されますが、これも用語集は定義だけで、由来までは書いていません。

さて、ここからが今回の本題です。

返しのやり方には、2種類あります。メインの卓とは別にモニター専用の卓を置いて、専任のエンジニアが中音だけをつくる「ハウス返し」。そして、1台の卓で外音も中音もまかなう「卓返し」。大きなホールやフェスは前者、小さなライブハウスは後者が標準です。当会場も卓返しです。

卓が1台ということは、外音と中音が、完全には切り離せないということです。

リハーサルで「返しをもう少しください」と言われて、上げられるときは、もちろん上げます。でも、物理的にそれ以上は上げられない、という瞬間が本当にあります。上げれば音が回り始める。外音のバランスが崩れる。意地悪をしているのでも、技術が足りないのでもなく、卓が1台だからです。

これを先にお伝えしておくことが、私たちの誠実さだと思っています。この記事を書いている理由の半分は、これです。

「ハウリングは和製英語」──誤りでした ✕

いま「音が回る」と書きました。

マイクがスピーカーの音を拾い、その音がまた増幅されて、キーンと発振する。あの現象を「ハウリング」、動詞で「ハウる」と言います。もとは英語の howling──犬の遠吠えです。

この言葉について、広く語られている説明があります。「ハウリングは和製英語。英語では feedback と言い、howl系の言い方は存在しない」。私たちも、ずっとそう思っていました。今回の調査でいちばん驚いたのは、ここかもしれません。

英語に、ありました。

英国英語には howlround(ハウルラウンド) という単語が実在し、Collins English Dictionary にきちんと立項されています。1920〜30年代、BBCを中心とする放送技術の現場で使われるようになった言葉です。howl(吠える)+ round(回る)──「音が回って吠える」。日本の現場で「音が回る」と言うのと、発想がぴたりと重なります。

たしかに、いまの英語の標準は feedback で、海外のエンジニアにはそう言えば通じます。でも「英語に存在しない」は、誤りでした。

一方で、日本で生まれたものもあります。「ハウリング」という -ing の語形と、「ハウる」という動詞化。外来語を「◯◯る」と縮めて動詞にするのは、大正時代の「サボる」(サボタージュから)以来、100年続いている日本語の造語のしかたです。ハウるは、100年前と同じ作り方で作られた、いちばん新しい世代の日本語のひとつということになります。

楽器まわりの言葉も、すこしだけ

  • シールド ── ギターやベースをアンプにつなぐケーブル。ノイズを遮蔽(shield)する構造から来ています。英語に shielded cable という言い方は実在しますが、ケーブルそのものを「シールド」と呼ぶのは日本独自の使い方です。
  • DI(ディーアイ) ── ベースやキーボードの信号を卓へ送るための変換箱。略の元は Direct Injection と Direct Input の両説があり、決着していません △。英国系が injection、米国系が input という地域差だと説明されています。
  • ゲインとフェーダー ── どちらも「音量のつまみ」に見えて、別物です。入口で信号を持ち上げるのがゲイン、出口の音量がフェーダー。取り違えると、歪みやハウリングのもとになります。ですから音のご要望は「もっと大きく聞きたい」という目的の言葉でいただけると、いちばん事故がありません。訳はこちらでします。
  • 生ドラ ── 要注意の言葉です。「打ち込みではない、生演奏のドラム」と「PAを通さない生音」、2つの意味で使われています。小さな会場で大事なのは後者。ドラムの生音はスピーカーを通さずにフロアまで届いてしまうので、外音のバランスは、実はドラムの音量で決まります。アンプの音量をご相談することがあるのは、そのためです。

ところで──「サウンドチェック」を略すとき、何と言いますか。サウチェ、サンチェ、サチェ。調べてみたら、統一形は存在せず、どれが古い言い方なのかも分かりませんでした。ですから私たちは、書き言葉では略さないことにしています。

おわりに

午後6時の「ワンツー」は、中の音と外の音を、すり合わせていく時間です。

同じステージの音が、立つ場所によって違って聞こえる。そしてこの会場では、その両方を1台の卓でつくっている。小さなライブハウスの音響は、その制約の中の工夫でできています。「返しが上がらない」の裏側にあるのは、意地悪ではなく、物理です。

そして、この記事で「分からなかった」と書いたことは、本当に分からなかったことです。もっともらしい説明で埋めていません。

次回は、開演の瞬間──光の言葉です。「客電が落ちる」の客電とは何か。そして「上手・下手」という呼び方の由来を調べたら、思っていたよりずっと、決着していませんでした。

主な出典

当会場への出演をご検討の方へ

常設の機材・設備は「機材リスト・設備案内」に、出演が決まってから当日までの流れは「出演決定後に」にまとめています。DIの本数やアンプの機種も、こちらでご確認いただけます。

御茶ノ水パルトネールについて

御茶ノ水パルトネールは、東京・御茶ノ水の楽器の街にある小さなライブハウスです。日々さまざまなライブイベントを開催しています。ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。

タイトルとURLをコピーしました