その名前に決めた夜 ― 全国のライブハウス、命名の物語

夜空の下に灯る「パルトネール」の袖看板。コラム「その名前に決めた夜―全国のライブハウス、命名の物語」の題字 ブログ

――その看板の名前、気になりませんか?

街の灯りが落ちる頃、ライブハウスの看板にだけ小さく明かりが残る。そこに掲げられた名前は、ただの記号ではない。開業の前夜、誰かが迷い、笑われ、願いを込めて「これだ」と決めた瞬間が、そのまま固有名詞になったものだ。今夜は、全国の看板の向こう側にある「決めた瞬間」を、短い物語として訪ねてみたい。

第一話 雑誌のページで

1971年、のちの新宿ロフトの歴史は烏山ロフトから始まる。創業者の平野悠さんは、アメリカの音楽誌『ローリング・ストーン』を読んでいて、一つの英単語に出会った。『LOFT』――屋根裏部屋、そして作業場。その語感と多義性が気に入って、そのまま店の名にしたと、のちに本人がインタビューで語っている。ページをめくる手が、ふと止まった夜だったのだろうか。アメリカのロック文化への憧れが、日本の音楽シーンの歴史を作った瞬間だった。

名古屋・今池では、一冊の小説が看板になった。マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』。1981年に開業したHUCK FINNの先代オーナーは、自由を求めて冒険する主人公に、「せめてこの小さなステージの上だけでも自由に思い切り生き抜いてほしい」という想いを重ねた。ステージに立つすべての表現者へ宛てた、手紙のような店名だ。

札幌のPENNY LANE24の物語は二段構えになっている。前身は1982年にすすきので開業した『PENNY LANE』。ビートルズの楽曲に由来する名前だった。1990年、店は二十四軒という地名の街へ移り、そのとき名前に「24」が足された。ビートルズと、新しい住所と。歩んできた時間ごと看板に刻んだ改称だった。

第二話 笑われた夜、ひらめいた昼

国立の店主は、本当は『宇宙屋』にしたかったのだという。2003年の開業時、内装を施工してくれた大工の友人たちに「え、宇宙屋って?」と引かれてしまい、「店の規模に見合うようランクを一段落として」『地球屋』に決めた。宇宙から地球へ、一段の譲歩。けれどそのおかげで、この店名には謙虚さとユーモアが同居することになった。

福岡・大名のQueblickは正反対で、オーナーが「響きの良さ」だけで即決した名前だ。スタッフ全員が一発で納得したという。映画監督キューブリックにちなむという噂も流れたが、本人が明言しているのは「感覚で決めた」ということだけ。理屈より先に、耳が「これだ」と言うことがある。

神戸の太陽と虎には、最終候補が二つあった。店長・風次さんの案『太陽と虎』と、オーナーで音楽プロデューサーの松原裕さんの案『神戸MaccA』。2010年の開業を前に軍配を上げたのは、姓名判断だった。画数が良かったから――占いと実務が一枚の看板の上で握手した、めずらしい命名である。

第三話 数字と形に願いを込めて

渋谷Milkywayの由来は、開業日時そのものだ。2010年7月7日、午後7時7分開業。7月7日は七夕、七夕といえば天の川、天の川は英語でMilky Way。経営者の斎藤久典さんが自ら説明しているこの命名は、記念日をそのまま名前に変えてしまった、粋な言葉遊びだ。

渋谷CLUB QUATTROの「QUATTRO」はイタリア語の「4」。1988年の開業時、渋谷PARCOのPART1〜3に続く4番目のビル『QUATTRO by PARCO』の最上階に入居していたことが、そのまま名前になった。ビルの番号が音楽の場の名となり、のちに全国のCLUB QUATTROへと受け継がれていく。

大阪・湊町のなんばHatchは、建物の外観が八角形であることから、日本語の『八』と英語の『Hatch』(昇降口)をかけて、DJの谷口キヨコさんが命名したとされる。見上げれば形が名前を語り、口にすれば言葉遊びが効いている。

新宿PIT INNの創業者・佐藤良武さんは、車好きの大学生だった。1965年12月、伊勢丹裏に開いたのは車好き向けの喫茶店。名前はカーレースで給油やタイヤ交換を行う『ピットイン』から取った。本来の表記『PIT IN』は文字数のバランスが悪く、店長の判断で『INN』の3文字に変更されたという実用的な逸話も残る。走る者がひと息つく場所を意味したその店は、やがてジャズの聖地と呼ばれるようになった。名前は、店の未来を知らないのだ。

第四話 物語を借りた人たち

高円寺のJIROKICHIは、江戸時代の義賊・鼠小僧次郎吉から名を借りた。1975年の開業当初から生演奏居酒屋として親しまれ、開店翌年に大映調布撮影所で行われたライブイベントは「どろぼう公演」と名付けられた。由来が店名にとどまらず、イベントにまで引き継がれていく。2025年には開業50周年を迎えた名店だ。

京都・上京区の拾得の始まりは1973年。音楽好きの若者たちが、築200年の元酒蔵を改装して店を開いた。名前は中国・唐代の伝説的人物「拾得」から。森鴎外『寒山拾得』に登場し、ジャック・ケルアック『The Dharma Bums』でも扱われた存在だ。禅の思想とアメリカ文化が交差する場所として、その名は半世紀を生きている。

神戸・三宮のチキンジョージは1980年開業、関西屈指の老舗だ。名前の出どころは、1977年に全米で放映されたテレビドラマ『ルーツ』に登場するキャラクター「チキン・ジョージ」。アメリカ音楽史と黒人文化への敬意が、港町の看板に刻まれている。

渋谷のCHELSEA HOTELが借りたのは、ニューヨークの伝説的ホテル『The Hotel Chelsea』の逸話だ。アンディ・ウォーホール、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャス――20世紀を代表するアーティストたちが住んでいたことで知られるホテルの名が、東京・渋谷の看板として蘇った。アメリカ音楽史への憧れが、そのまま店名になっている。

名前は、時に問いかけにもなる。2020年8月に開業した下北沢LIVE HAUSは、和製英語の『ライブハウス』をあえてドイツ語の『HAUS』に置き換えた造語を掲げた。込めたのは『生きる家』という意味。旧来のライブハウス像を解体し、再定義するというコンセプトが、名前そのものに宣言されている。名前とは何なのか――それ自体を問い直す名前もあるのだ。

最終話 相棒、という名前

雑誌の一語、譲った一段、開業の日時、借りてきた物語。名前は、その場所が何でありたいかの宣言なのだ。

そして、御茶ノ水。私たちの店の名前にも、決めた瞬間の想いがある。

「Partenaire(パルトネール)」は、フランス語で「相棒」「パートナー」を意味する言葉だ。

ステージに立つ出演者。その音を支えるスタッフ。そして、足を運んでくださるお客様。立場も、ジャンルも、積んできた経験も違う人たちが、この小さな箱に集って、その瞬間だけの音楽を分かち合う。そのとき、そこにいる全員は対等だ――誰かが主役で誰かが脇役、ではなく、全員がその夜の「相棒」なのだと思う。

一回限りの出会いを、相棒関係として大切にしたい。名前に込めたのは、それだけのことだ。けれど全国の看板がそれぞれの夜を語るように、御茶ノ水パルトネールという名前もまた、訪れてくださる一人ひとりとの相棒関係の積み重ねで、少しずつ物語になっていく。

今夜もどこかの街で、誰かが新しい店の名前に迷っているかもしれない。雑誌の一語に打たれるのか、笑われて一段譲るのか、開業の日時に願いを込めるのか。どの名前にも、決めた人の物語が宿る。次にライブハウスの看板を見上げるとき、その向こうにある「決めた夜」を、少しだけ想像してみてほしい。

今夜もまた、看板に灯りをともしながら。

最後に、名付けの親を偲んで

この「パルトネール」という名前には、名付けの親がいる。もう、その人にこの店の看板を見てもらうことはできない。

けれど、ここまで巡ってきた全国の看板がそうであるように、名前は名付けた人より長く生きる。「相棒」という一語は今夜も店の入口で呼ばれ、フライヤーに刷られ、初めてのお客様の口にのぼって、少しずつ物語を増やしていく。それはきっと、名付けの親がこの店に遺してくれた、いちばん大きな置き土産だ。

ありがとう。「相棒」という名前に恥じない店で、あり続けます。

御茶ノ水パルトネールについて

御茶ノ水パルトネールは、東京・御茶ノ水の楽器の街にある小さなライブハウスです。日々さまざまなライブイベントを開催しています。最新のライブスケジュールは下記よりご確認ください。

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