押す、巻く、テッペン|箱(ハコ)の言葉 第5回

0時を指す時計の文字盤。連載「箱(ハコ)の言葉」第5回の題字 ブログ

連載「箱(ハコ)の言葉」第5回

午後8時。

2組目の演奏が終わって、転換に入っています。予定は10分。ところがアンプの調子が悪く、もう15分が過ぎました。

やがて3組目が始まり、しばらくして、スタッフが人差し指を立て、くるくると回します。演奏中の出演者に向けた「巻いてください」の合図です。

こんにちは。東京・御茶ノ水のライブハウス「御茶ノ水パルトネール」です。ライブハウスの現場で飛び交う言葉の由来をたどる連載、第5回です(第1回「箱」第2回「バミる」第3回「中の音と、外の音」第4回「客電が落ちる」)。

記事の中の3つの印はいつもどおりです。◎ 確かめられた/△ 決着していない/✕ 根拠がなかった。 今回は時間の言葉──そして、この連載でたどってきた一夜の時計を、いったん止める回です。

「転換」は、お客様には伝わりません

対バン形式のライブでは、出演者が入れ替わるたびに機材を入れ替えます。これが「転換」。「場面転換」「舞台転換」の略で、漢語の一般義そのままです◎。語源に驚きはありません。

驚きはないのですが、注意が2つあります。ひとつは、演劇の転換が大道具の入れ替えなのに対して、ライブハウスの転換はアンプとドラムとマイクの位置の話だということ。転換時間の見積りは、ドラムセットを共有するかどうかで大きく変わります。

もうひとつは、この言葉がお客様に伝わらないこと。進行表に「転換 10分」と書いても、初めての方には何のことか分かりません。ですから私たちは、公開する進行表では演奏時間の間をブランクにする、または注記を添えるようにしています。

その転換が、いま長引いています。ここから、時間の言葉です。

押すと巻く ── 双子に見えて、片方しか記録に残っていない

進行が予定より遅れることを「押す」、早めることを「巻く」と言います。「10分押してます」「巻きでお願いします」。対になった、双子のような言葉です。

ところが辞書の中では、この2語の扱いがまったく違いました。

押す ◎。 予定の項目が後ろの時間枠を押しやる、という日本語「押す」の派生義です。デジタル大辞泉は「テレビ・演劇などで、予定した時間よりも遅れる」を立項し、精選版日本国語大辞典は年代の付いた用例を引いています。藤倉修一『マイクとともに』(1952年)──「二分余るはずなのだが、ドンドン押して、余るどころかハミ出しそうである」。藤倉修一さんはNHKのアナウンサーでした。放送現場の言葉として、遅くとも1952年には成立していたことが、年代付きで確かめられます。

巻く ✕。 デジタル大辞泉には「予定した時間よりも早まる」の語義があります。ここまでは同じです。ところが精選版日本国語大辞典には、この語義そのものが立項されていません。 年代の付いた用例が、存在しないということです。

語源として広く語られているのは、「フィルムやテープを巻き取ることから」という説明です。袖で人差し指をくるくる回す合図も、リールを巻く仕草の名残だ、と。もっともらしいのですが、この説明を書いているのは業界の解説サイトだけで、一次資料はひとつも見つかりませんでした。ですからこの連載では、「巻く」の語源は不明、と書きます。

対の言葉なのに、片方だけが記録に残っている。 今回いちばん驚いたのは、ここでした。

語源よりも大事なことを書きます。現場で事故を起こすのは、圧倒的に「巻く」のほうです。「巻いてください」を「盛り上げてください」と受け取る出演者の方が、実在します。 ですから私たちは、書面で伝えるときは「◯分短縮」と数字で書きます。押したときの合図も、リハーサルの段階で「押した場合は指のサインを出します」と先にお伝えしておく。演奏中の方に言葉で伝えると、角が立つからです。

もうひとつ、細かいことを。「押す」は「推し」と同音です。文字にすると紛れるので、お客様向けの案内では業界語を使わず、「開演が10分ほど遅れております」と書きます。

尺、アタマ、ケツ ── 映画から来た時間の物差し

各組の持ち時間を「尺(しゃく)」と言います。「持ち尺30分」「尺が余った」。

これは映画から来た言葉で、基本の構造は◎です。フィルムの物理的な長さが、そのまま上映時間だった。 35mmフィルムは1フィートに16コマ。サイレント映画の時代は16コマで1秒でしたから、1フィート=ちょうど1秒。長さを測れば、時間が分かる。

では、なぜ「尺」なのか。日本に映画が入った時代は尺貫法で、1フィート(304.8mm)と1尺(約303mm)がほぼ同じ長さだったから──と説明されます。ただ、この読み替えの理由のほうは業界内の伝承で、一次資料は確認できませんでした△。トーキー以降は1秒が24コマになって1フィート=1秒の関係は崩れましたが、呼び名だけが残っています。

実務では、「持ち尺」が転換込みなのかどうかで揉めます。ですから案内は「演奏◯分+転換◯分」と分けて書きます。

最初と最後は「アタマ」「ケツ」。身体の語の比喩で、業界だけの隠語ではありません◎。「ケツは22時」のように時刻の意味でも使い、「ケツ合わせ」と言えば、終了時刻を先に固定して逆算で組むこと。俗語ですから、出演者やお客様への文面では「終演時刻」「完全撤収時刻」と書きます。

そして「ケツカッチン」△。終了時刻が動かせない状態のことです。「この後がケツカッチンなので押せません」。

前半の「ケツ」は分かるとして、「カッチン」が決着していません。撮影のカット尻でカチンコを鳴らすことから、というカチンコ説が最も広く流布し、ほかに「後の予定がカッチリ決まっている」説、「結尾」説があります。カチンコ説を書いているのはWebメディアだけで、辞書や映像技術書には見つかりません。しかもそのWebメディアの中でも、説明が割れています。

ここで、正直に書いておきます。調査の途中で、私たち自身が間違えました。 「カチンコは撮影の頭で鳴らす道具だから、ケツで鳴らすというカチンコ説は実務と矛盾する」──そう反論を書きかけたのです。ところがこれは誤りで、テイクの終わりにカチンコを上下逆さに構えて叩く「逆さカチンコ」(tail slate)という手法が、撮影現場に実在しました。崩れたのは、反論のほうでした。それでも、語源が裏取りできないという結論は変わりません。「説を否定する根拠がない」ことと、「説を支える根拠がある」ことは、別だからです。

なお、ケツカッチンは1990年前後に業界の外へ流出した流行語で、世代差の大きい言葉です。50代以上にはすぐ通じて、20代の出演者の方には通じないことが多い。私たちは「終演◯時厳守です」と、平易に言うようにしています。

テッペン ── 珍しく、きれいに決まった言葉 ◎

深夜0時を「テッペン」と言います。「テッペン回った」=日付が変わった。

これは気持ちよく決まりました。デジタル大辞泉が、俗語義と語源の両方を本文に書いています。「俗に、深夜0時のこと。時計の文字盤で0時(12時)が最も高い位置にあることから」。対抗する説は見当たりません。この連載で語源が完全に決まっている、数少ない語のひとつです。

ただし──デジタル時計で育った世代には、この由来が通じません。文字盤の「てっぺん」を見たことがないからです。第4回で、地平線を作る幕が消えて「ホリ」という名前だけが残った話を書きました。テッペンは、文字盤が消えかけて名前が残っていく、その途中にある言葉なのかもしれません。

現場でこの語が出るのは、たいてい撤収が長引いた夜です。終演後に機材を解体して片付けることを「バラシ」と言い、こちらは語源がはっきりしません△。「バラバラにする」からの単純な転成という説と、土木・建築の業界で解体工事を「バラシ」、解体業者を「バラシ屋」と呼ぶところから流れてきたという説。業界の解説そのものが「語源は判然としない」と認めています。

「バラす」には「暴露する」という別の意味があるので、対外的な文書では「撤収」と書きます。似た言葉の「搬出」は、運び出すことそのもの◎。バラシ(解体の作業)と搬出(運搬)は別の時間として見積もります。搬入30分+仕込み60分、というふうに。

トリは、いちばんいい枠とは限りません

最後に出演する組を「トリ」と言います。

由来は寄席の「取り」。最後に出る真打が、その日の収入の全体を受け「取り」、ほかの出演者に分配していたことから、とされます。日本国語大辞典に採録された説で、出所は暉峻康隆『すらんぐ』(1957年)まで特定できます。席割の慣行そのものは、川口松太郎『人情馬鹿物語』(1955年)にも描かれています。対立する説は、ほぼありません。

ここまで揃っていて、なぜ◎にしないのか。説の出所が1957年の著作であって、江戸から明治の一次資料で「取り」の慣行とこの語の対応を直接に示したものが、まだ確認できていないからです。◎の一歩手前、というのが正直なところです。

大トリ」はNHK紅白歌合戦から生まれた新しい語とみられ、本来は1公演に1人。5組の対バンで気軽に使うと、意味が薄れます。

そして「前座」◎。寄席の番組で一番前に出る、という意味で、落語では見習い→前座→二ツ目→真打という正式な階級の名前です。前座は楽屋でお茶出しや着付け、太鼓を担う、修業中の身分。国立劇場の資料で確認できます。

つまり語源の上では、「修業中の人」を指す言葉です。対等な相手に「前座」と言うのは、語源をたどると失礼にあたる。私たちは「オープニングアクト」「1番手」と言うようにしています。「真打」も落語界の階級名ですから、ミュージシャンには使いません。

ここに、実務でいちばん大事なことがあります。ライブハウスでは、トリがいちばんいい枠だとは限りません。 終電や翌日の都合で、トリよりその前の出番のほうが、お客様が残りやすい日があります。ですから出演順のご相談では、「最後の出番」と「メインの扱い」を分けてお話しします。

ついでに。出演順の一覧を「香盤(こうばん)」と呼ぶことがありますが、演芸の世界では香盤は芸人の序列そのものを指します。出順を香盤と呼ぶと格付けと誤読されかねないので、私たちは「タイムテーブル」と言います。香盤の語源(香を焚く盤状の道具が先にあり、興行界へ転用された経緯)は、資料が見つかりませんでした。

アンコールは、フランスでは叫びません

終演の少し前の話も。「アンコール」はフランス語の encore(もう一度)ですが、日本へは英語を経由して入りました◎。英語圏で観客の掛け声としてフランス語の encore が採用されたのが先で、1712年のイングランドの日刊紙 The Spectator に、聴衆が encore と叫ぶ習慣が書かれています。

面白いのはここからです。フランス語圏のコンサートで、「Encore!」とは叫びません。 フランスでは「Bis!(ビス)」。ドイツ語圏は「Zugabe(ツーガーベ)」。フランス語の言葉を、フランスの人は使わない。

「ダブルアンコール」は日本で作られた言い方とみられます(英語では second encore)。実務では、アンコールの有無と曲数を先に決めておくことが押しを防ぐ基本です。ダブルアンコールまで想定して時間を組んでいない、というのが終演が押す典型だからです。

おわりに

午後4時、誰もいない箱。床に銀色のテープを貼る。ワンツー、ワンツー。客電が落ちる。転換が長引いて、指が回る。終演、バラシ、そして──日によっては──テッペン。

第1回から今回まで、ライブハウスの一夜を、時間の順にたどってきました。ここで、この連載の時計はいったん止まります。

連載第1〜5回でたどった一夜の時間軸

第1〜5回でたどった一夜。用語を示すための模式図です。

今回いちばん驚いたのは、「押す」と「巻く」でした。双子のように対になった言葉なのに、片方には1952年の用例が残り、もう片方には辞書の立項すらない。毎日使っている言葉の記録が、こんなに非対称だとは思っていませんでした。

そして、この記事で「分からなかった」と書いたことは、本当に分からなかったことです。もっともらしい説明で埋めていません。

次回は、幕間です。時計を止めて一歩引き、なぜライブハウスの言葉がこんな言葉遣いになったのかを俯瞰します。言葉は、六つの川から流れてきました。江戸の芝居小屋、映画とテレビ、ドイツ語、英語、戦後のジャズマン──そして、ただ一語だけ、シベリアから来た言葉があります。

主な出典

公演スケジュール

今後のライブは「今後のライブスケジュール(イベント一覧)」でご覧いただけます。各公演の出演順・時間は、それぞれのイベントページでご確認ください。

当会場への出演をご検討の方へ

出演が決まってから当日までの流れ(入り時間・リハーサル・転換の目安を含みます)は「出演決定後に」にまとめています。

御茶ノ水パルトネールについて

御茶ノ水パルトネールは、東京・御茶ノ水の楽器の街にある小さなライブハウスです。日々さまざまなライブイベントを開催しています。ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。

タイトルとURLをコピーしました